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読む力

かつては、自分が書いた文章を不特定多数の人を対象に公開することは、限られた専門家に与えられた特権だった。それが現代では、パソコンやスマホを使って誰でも簡単に公開出来るようになった。
そもそも文章を公開するのに資格や権利なんか必要ない。誰にでも出来るのだ。インターネットが普及する前は、自分の考えを文章にして公開するためには出版社とのやり取りが必要だった。出版社が乗り気でない場合は自費出版ということでお金もかかっていた。その頃に比べると、現代はなんて簡単にアップロード出来ることだろう。つらつらと書き綴ったものを、簡単に自己チェックしただけで簡単にアップする。間違いを見つけたら公開後であっても即刻修正が出来てしまう。だから気軽にアップできる。
現代は自分の考えを多くの人に語りかけることが簡単に出来るようになっているのだ。
専門家であれば、調べ尽くした結果を公開する。もちろん公開にあたっては何度も吟味、推敲し、書き直す。専門家はアウトプットするものに対して責任を負うのだ。
しかし、一般人は違う。見たり聞いたりしたものについて、またそれを見て聞いて感じ、考えたことについて自由に発言する。そして自分の発言について責任は負わなくても許されてしまう。いわば無責任な存在なのだ。
しかし、責任を取らなくてもいい存在でありながら、専門家以上に詳細に精査し発表している一般人もいる。現代は専門家と一般人の区別がつきにくくなっているのだ。
。。。以上のことをふまえて、次は自分が読む立場に立った時、どんなふうに情報の使い分けをするべきか考えてみる。今目にしているのが、専門家による解釈なのかそれたも一般論なのか。肩書きを見ただけではわからない。
情報が氾濫している現代だからこそ、情報に流されない力を持ちたい。目の前の情報について見分けることが出来る判断力を。それが「読む力」であり、そのためにも知識を重ねていく必要があるのだと思う。