神様を意識する季節

毎年この時期になると、ヘンデルの「メサイア」が聴きたくなる。この時期だけクリスチャンになって、神様について考えてみたりする。

この時期以外に神様のことを思い出すのは、困ったときとか。あと、いろんなことが上手く運んだとき。神様って、ちゃんと見てくれてるんだなって感心しながらとか。

神様は、やっぱり凄いと思う。これまで多々お世話になってきたけど、いっさい見返りを求めないんだから。

そんな態度、わたしに出来るかと胸に手を当てて考えるまでもなく、そんな考えなんてどこにもない。小市民であるわたしの行ないのほとんど全てが、見返りを求めるものであり、そうでないものについては、無意識の反復運動などでしかない。

だから、だからこそ、見返りを求めない神様って凄いとあらためて感動してしまうのだ。

できれば、そんな風になりたい。

見返りを求めず、与えるのみの存在に。そしてまさにそれこそが、マザー・テレサのいうところの「愛」の実現なんだろう。

たしかに、求めている時よりも与えている時の方が気持ちが豊かであり、楽だと思う。与えて豊かな気持ちになった後でも見返りを求める邪な思いが生まれると途端にしんどくなる。

心豊かに生きるためには、与える人となればよいということか。神様みたいに。


メサイアが流れている。敬虔な雰囲気になる。せめてクリスマスのこの期間中だけでも神様に近づいて、心豊かに穏やかに過ごしたい。そして、そんな想いへと導いてくれるこの季節、クリスマスに感謝したい。