読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自分の評価

いい人と見られたいという気持ちは、誰にでもある。他人からの評価は誰だって気になる。
子どもの頃、大人から過度に注目され、常に評価の対象にあった子どもは、四六時中評価されることを意識しながら育ったわけだから、人の顔色が気になって仕方がないというタイプの大人へと成長を遂げる。評価教育の弊害である。
評価が気になる人は、たとえば自分のやりたいことを選択したつもりでも、実はその「やりたいこと」は評価されることを前提としたものなのかも知れず、本音のところはどうなのか悩んでしまうことにもなる。もちろんやりたいことがそのまま評価につながれば問題ないのだろうが。
評価されたいということが第一目的になってしまうと、それまで励んでいたことが評価されなくなった時に目的を見失うことになる。また、評価して欲しいからと、上司からの指示の全てに従っていたら、自分が疲弊して潰れてしまう。他人の評価を基準にしてはいけないのだ。人はともかく、自分が何をやりたいのか。他の人の顔色とか様々な装飾を脱ぎ捨てて向き合わなければ見えて来ない。
ジャッジするのは他人ではない。あくまでも自分なのだ。たとえ良い評価を受けたとしても、自分が納得出来ていなければ上手くいったとは言えない。他人からの評価に甘えず、自分に厳しく。
そんなふうになるためには、かなり自信がなければいけない。そして自信を持つためには、マインドコントロールも重要ではあるが、それ以上に経験値が必要となる。その自信や経験値を裏付けるものが「評価」であったりもする。
結局のところ、評価される場面も必要なんだけど、ひとつずつの評価や、誰かさんの反応や顔色を気にしたり、振り回されたりしないように、常に自分を見失わないように、経験を積み重ねて行きたいと思う。