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何のために働くのか

何のために働くのか。


ただ、労働の対価として報酬を得るためにだけ働いているのか、それとも労働の中にやり甲斐や生き甲斐を求めているのか。後者の場合、やり甲斐を感じているうちはいいけど、感じられなくなったら続けることが難しくなるのか。

人の欲求には5段階あると、マズローは説いている。生理的欲求、安全・安心の欲求、社会的欲求、承認の欲求、そして頂点にあるのが自己実現だ。働くことによって満たされるのはここでは社会的欲求以上であり、どうしても承認の欲求を満たすべき評価は大きな存在となる。

やり甲斐は承認の欲求より上の段階で、自己実現に限りなく近いところにあると思われる。どんな仕事であっても、懸命に立ち向かううちに「ハマる」部分が出来てきて、それがやり甲斐になるのだろうが、とりわけ自分の得意な分野であれば能力を充分に発揮出来るから、承認の欲求も満たされ、自己実現により近づけるだろう。

しかし、たとえば環境が急変して、不得意な分野への異動があったり、苦手なタイプの上司が来たりすると、どうだろう。モチベーションは下がり、自己実現はおろか、承認される機会が減り、逆に否定されてばかりの状態になると、極端な場合は出社拒否により社会とのつながりまで絶たれかねない。

仕事にやり甲斐を求めていると、やり甲斐が見出せない場合に働く意味を見失うことになる。働くことが生活の大部分を占めている多くのサラリーマンにとって、働く意味を見失うことは、アイデンティティの喪失にさえつながりかねない。

一方、割り切って報酬を得るためにだけ働くというのはどうだろう。仕事に向かって熱くなることもなく、毎日卒なく与えられた課題をこなしていけばいい。仕事や仕事場に対して、それ以上を求めないのであれば、大きく失望することもなく、日々を淡々と楽に過ごせるだろう。そして、もっと条件の良い仕事があれば、わりと簡単にそちらへシフト出来るのだろう。


報酬を得るためか、やり甲斐のためか、どちらか一方しかないという人は少ないと思う。本来は、両方が少しずつあって成り立つべきものだ。やり甲斐というほどの理由が見当たらなくても、ほんの少しだけ、仕事を好きになれたらいいんじゃないかな。

しんどい時はあるけど、基本仕事が好きで、とりあえず継続して報酬がある。結局のところ、それが長続きの秘訣なのかも知れない。恋愛だってそうだけど、極端にのめり込んだりしないで、適度に距離を保ちながら付き合って行くのが上手な生き方なのかなと思う。