愛を伝える術

「子どもに愛が伝わっていますか」という近藤千恵さん著の本を読んで、受容することの意味がようやくわかった気になった。アメリカの臨床心理学者トマス・ゴードン氏が提唱する「親業」について説明する本である。親になることを「業」と捉え、どんなに子どもを愛していても、当事者の子どもにそれが伝わっていなければ意味がないと説く。

例えば、子どもが大きな犬を見て泣き出した際に、大人はついつい「泣かないで」と声をかけてしまいがちだが、それでは子どもの心を受け容れたことにならないのだ。子どもがどうして泣いているのか、その気持ちを汲むことによって子どもの心にアプローチする。つまり「あの犬が、こわいの?」と。

すると、犬が怖いという問題自体は解決しなくても、大人が自分の気持ちを理解してくれているという安心感によって、子どもが落ち着くのだという。これを「受容」と呼んでいる。

この際、大人も一緒に怖がる必要はなく、もちろん「怖くなんかないよ」と否定するものでもない。子どもの気持ちを評価することなく、ありのままを返すだけでよい。目標は子どもからの「うん。そうなの」という返事を得ること。

いわゆる「おうむ返し」だ。相手の気持ちを肯定もせず、否定もせず、ありのままを返すことは、簡単なようで、案外難しい。ついつい自分の気持ちを混入してしまう。

しかし、子どもにとっては、ありのままが受け容れられているという前提であれば、その後に大人の気持ちがどのように続いても大丈夫なのだという。例えば前述した犬についても

「あの犬が怖いの?」と呼びかけて

「うん。そうなの」と応えを得られたらその後で

「そうか、ママは怖いと思わないけどなー」と、親の想いを伝えてもよいのだと。


さらに、ありのままを受け容れられた子どもは、自分の力で問題解決を進めて行くという。

「あの犬、怖いな。でも大丈夫」というように。親や他の大人たちから答えを与えられるのではなく、自分の力で答えを見つけようとする。見つける力を身につけるのだ。


受容されることによって、子どもは心のよりどころを見つけ、安心する。逆に心のよりどころが見出せない子どもは、不安が募るばかりだ。だからすべての子どもたちにとって、受け容れられることは必要だ。受け容れられることが、そもそものスタートになる。

いや、子ども達だけでなく、大人にとっても、受容されることは必要だと考える。受け容れられられずに路頭を彷徨う、行き場のない気持ちを抱えた人が、現代は特に多いのではないだろうか。


トマス・ゴードン氏は親業の後に教師学、看護師学などのコミュニケーションプログラムを開発している。情報と主張のるつぼである現代社会において、とりあえず受容され、自分のありのままの状態をおうむ返しによって鏡写しで見て、その先に問題解決を自力で行うという方法は、人間の成長において非常に効果的だと考える。